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田中の部屋
石巻ボランティア報告(その3)

9日の夜は、蛇田小学校の教室の中で、お借りした毛布と寝袋で睡眠。本当によく眠れた。木村先生さまさま(^^)。

教室で宿泊

教室で宿泊

翌日の10日は、20時までの東京への到着が必須であることもあり、お昼には石巻を出ざるをえないため、どうしようかと思っていたところ、今回のボランティア活動を全面的にサポート下さった宮城復興支援センターの赤木先生のアドバイスもあり、被害の大きい港地区を見に行くことに。

石巻の港からスタートし、女川町に向かったのだが、本当に戦後のような惨憺たる光景がひろがり、一同みな言葉を失った。

石巻海岸通りにて

石巻海岸通りにて

海岸沿いの道路も、ところどころに陥没や亀裂はあるものの、車が通れるくらいには整備がされていて、そのまま女川町まで行くことができた。すぐそこが海になっている女川町役場のあたりの街は、一面が瓦礫で埋まっていて、街がすべて消えてしまっていた。

女川町町役場周辺

女川町町役場周辺

女川町役場周辺②

女川町役場周辺②

惨憺たる現場を前に、私は言葉を失い、その場で立ち尽くした。そして、涙が出てきた。

この光景を心の中に焼き付け、将来にわたって津波の恐怖を伝えなくてはいけない、と強く思った。そして、この光景を目の当たりにしてしまった私たちメンバーそれぞれにも、”この光景を風化させず今後に生かす”という大きな使命があることを認識した。これを境にメンバーそれぞれの目が変わった気がした。

津波の高さを物語るのが次の写真。10mを超える3階建てのホールの天井まで水が行っていたのがわかる。

3階建ての高いホールの天井まで水の跡が

3階建ての高いホールの天井まで水の跡が

途中で川沿いも走ったが、川にかかっていた大きな橋も半分が落ちていた。

先が落ちてしまった橋

先が落ちてしまった橋

10日は自衛隊2万人以上を送り込んだ大規模な行方不明者捜索が行われており、一人でも多くの方がみつかることを祈りつつ、私たちは女川町を後にした。

東京に帰るまでに、奇跡的に被害が少ないといわれていた松島にもよってみた。確かに、港も含めて建物もすべて残っており、何事もなかったように存在している松島の景観を見ながら、とても不思議な気分になった。

松島にて

松島にて

そして、現地の素敵な方々との出会い、そして被災地で見てきたもの、を胸に東京への家路についた。

とにかく行ってみよう! というところから始まった石巻ボランティア。いい意味での想定外で、いろんな貴重な経験をさせていただいた。

海外線の惨状を目の当たりにし、これからの復興に向けて、膨大な人手と時間が必要なことも肌で感じた。

しかし、何よりも心に残った出会いは、蛇田小学校の木村先生との出会い。被災地の皆さんの力強さ、やさしさ、たくましさに触れるとともに、私たちが逆に勇気をもらうこととなった。

今、被災地が求めているのが、物資でもなく励ましの言葉でもなく、”仕事のある普通の生活”。

一日も早く復興活動が開始されることを祈るともに、私たちも被災地の復興のためにできることをしていきたい。そして、何よりも今、目の前にある仕事を必死にやることで、日本の経済に貢献し、東北の復興に貢献することが何よりも大事であると思う。

そして、社会起業大学から、多くの社会起業家を生みだし、今回の東北復興支援で活躍する人材をたくさん生み出していこう。

そう自分の魂に誓った。


投稿日時: 2011 年 4 月 14 日 2:03 PM トラックバックURL

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